産経新聞に掲載された櫻井よしこさんの発言を読んだ。(「野田総理に申す 党内融和の呪縛を脱せよ」1月12日)。

最近、彼女は様々なところから批判や中傷を受けているためか、これまでになく、感情的な物言いが感じられた。

櫻井さんは日本の女性らしさをもった言論人であり、保守のホープと言ってもいい存在である。それでいて、自分の口から明らかにされたことはないが、北朝鮮による日本人拉致や中国の人権問題などに熱心に取り組んでいるさまざまな諸団体(その多くは財政基盤の貧弱な小さな組織である)に自腹を切って少なくないカンパをたびたび行っている方でもある。

彼女のおかげでどれほど多くの弱小団体が活動を続けることが出来ているのか、私は当事者から直接そうした事実を聞かされている。高い、高いと批判される彼女の講演料はこうしたつかわれ方もしているのである。またフリーランスの言論人が国家基本問題研究所を立ち上げ、政策提言も実行しているとなると、お金はいくらあっても足りないはずだ。彼女の講演料が高いのは人が集まるからでもある。だから高くても、主催者側も赤字にならないですむ。誰に迷惑をかけているわけではない。それは櫻井よしこさんの実力なのである。

だから、私は根拠の乏しい中傷や感情的なレッテル貼りはしたくないし、不適切な批判をするつもりはない。だが、それでも言わなければならないことはある。

●ISD条項とは
新聞記事のなかで、私が看過できないと思ったのはこの部分である。

「TPPに関しては、ISD条項(投資家と国家間の紛争条項)の例に見られるように、根拠のあやしい反対論が渦巻く。日本は中国、やタイなど24カ国とすでにISD条項を締結済みだ」

「従来のISDを不問にしてTPPのISDだけを問題視して、日本が滅ぼされるかのように主張するのは支離滅裂である。この種の感情的反発の中で、理性を保って参加を決めた野田首相を評価したい」。

そうだろうか。私の疑問はそれでもやはりISD条項にある。なぜならそこには、紛争の際、これを裁くのが世界銀行傘下の国際投資紛争解決センターとなっているからだ。

問題はいくつかある。紛争の判決を下すのはセンターの仲裁人なのだが、審理は非公開であり、一度下った判定に不服の申し立てはできない。情報透明度も高いとは言えない。まだある。それ以上に指摘しておかなければならないのが世界銀行という国際機関の実態である。

●仲裁機関・世界銀行の正体
世界銀行は「米国の殖民地」とも呼ばれるほど米国政府と深い関係にある国際金融援助団体である。同行は第二次大戦後、米国のイニシアティブで誕生した。当時も今も、最も出資金の多い国は米国である。そればかりか、トップの総裁人事も歴代の米国の財務省長官が任命する慣わしになっている。ネットで検索するだけで、これまで一人の例外もなく、総裁がすべて米国人である事実が確認できるはずだ。

歴代の総裁で日本でも有名な人物は、ジョン・マックロイ、ロバート・マクナマラ(ケネディ政権の国防長官・ベトナム戦争に関与)、ポール・ウォルフォウイッツ(ブッシュ政権国防副長官・ネオコン)らである。とはいえ、特定の国がこうした国際金融機関のトップ人事を仕切るケースは珍しくない。IMFは欧州が、アジア開発銀行は日本が握っている。

さて、話をISD条項に戻す。

かりに日本がTPPに参加し、米国企業との間に紛争が起きた場合、解決は米国政府がカネもヒトも独占している世界銀行傘下の調停機関(投資紛争解決センター)に持ち込まれ、審理は非公開のまま、「判決」が下され、一方的にそれに拘束されることになるのである。

米国財務省と密接不可分な世界銀行。
あなたは彼らの「公平さ」を信じることが出来るのだろうか。問題の根本はここにある。オバマ政権は貿易を通じた経済再建に必死である。TPPの背景にあるのはそうした国内事情である。経済愛国主義はいまや米国の国是となって、官民を覆い尽くす。

●世銀に影響力を持ち始めた中国
世銀について書きたいことはまだある。つぎはその現状について、である。

現在の総裁はロバート・ゼーリック。ブッシュ政権当時の国務副長官である。彼は過去、米国有数の投資会社ゴールドマンサックスの幹部を務めたこともある。ゼーリック氏は中国を「責任あるステークホルダー」(利害共有者)と呼ぶほど、その対中融和姿勢は強い。その彼が総裁就任時に、世界銀行のNO2(副総裁)に任命したのが、中国の胡錦濤国家主席のブレーンである林毅夫北京大学教授だった(二人の任期は今年までだが、次期総裁にヒラリークリントン国務長官の名前が挙がったこともある。本人は否定)。

なんのことはない、今の世界銀行のトップは米中2大国による「G2」体制そのものなのである。

●米中金融「同盟」
繰り返す。米国財務省と世界銀行はツーツーの関係にある。ブッシュ政権末期、当時のポールソン財務長官は中国政府に対して「米中経済対話」機関の設立を提唱し、米中経済「同盟」関係を築きつつ、同時に、財務省の影響下にある世界銀行においても、中国と良好な関係を樹立せんとして、先に書いたようなゼーリック・林体制を誕生させたのであった。

ここで気がかりなことがある。世銀における日本の影響力はどうなのかという点である。最近までは米国と並ぶ財政的影響力を誇っていた日本だが、近年は出資額も半減し、発言力は低下するばかり。他方、それに対し、中国は出資を本格化、数年前には従来の「借りる側」から「貸す側」に立場を代え、行内でその発言力を強めつつある。

●米国の経済覇権を直視せよ!
櫻井さんは言う。「従来のISDは不問にして、TPPのISD条項を問題にするのはおかしい」と。

おかしくはないと私は思う。従来は日本が米国を含むTPPに加盟していなかったため、米国との間に紛争が発生することはなく、そのため、必然的に世界銀行の下部団体に問題の処理を依頼する必要がなかっただけなのだ。

再度指摘しておきたい。日本がTPPに参加する。米国企業は日本の不当な商習慣を世界銀行下の「裁判所」に訴える。だが、ここで公平な裁きが行われうるのかどうか。

ほかならぬその世界銀行の人事と予算を握っているのは経済ビジネス分野では日本の「敵国」たる米国の財務省なのである。これが事実のすべてである。私たちには今こそ、世界と時代がネオ帝国主義化しつつあるという醒めた認識が必要なのである。

櫻井よしこさんへ - 青木直人BLOG:2012年1月20日 22:37