韓国の教育では、わが民族は「東方礼儀之国」として、お互い礼儀をわきま秩序を優先するとされている。もしそれが事実なら、現在の交通秩序や基本的な公衆道徳がこれほどメチャメチャになるはずがない。
事実はこうである。
例えば李氏朝鮮時代に我が国を訪れた外国人が書いた文章を見てみよう。その時からすでに韓国人は自分勝手で、不正が横行し、共同体意識がこれっぽちもなかったと記録されている。
正しい教科書を作るなら、「かって外国人はこう言った。確かに我が民族はこれこれの悪い点があるから、今後改善しなければならない」としなくてはならない。
もともと韓国人が平和的なよい心の持ち主だという描写も誤りである。教科書には、我が国は、よその国を侵略する意思をもったことがなく、困ったときはお互い様と、助け合いながら生きてきた「白衣の民族」、純白の純潔さを持った民族という感じで書いてある。本当だろうか?
韓国がよその国を侵略しないで、おとなしくしていたのは、別に平和的な民族だったからではない。そうせざるを得ない歴史的背景があったからだ。
また、教科書で、あるものを「韓国の伝統」だと讃える前に、本当に自分達の物なのかを疑ってみるべきである。
その端的な例がテコンドーだ。テコンドーはその起源を新羅時代にまで遡る伝統武芸として知られている。しかし、一部ではその時代にテコンドーの元になったと言われる「テクキョン」なる武芸とテコンドーとは辻褄まが合わないと指摘されている。
それより、沖縄で発展した沖縄空手がテコンドーに直接的な影響を与えたのではないかとみている人もいる。
亀甲船もそうだ。つまり、テコンドーも亀甲船も、すべて韓国のオリジナルな伝統に基づいているわけではないが、教科書はそれを教えない。
まったく韓国の教科書はウソつきである。
李鍾學著 「韓国人の私が韓国をキライになった48の理由」
